2009年03月15日

オープンな木軸壁工法の可能性(上)



40年近くも前のことである。
最初にアメリカの住宅産業に触れた時、最初に出会った言葉が「ウッド・フレーミング・コンストラクション」だった。
文字通り「木質構造」。
そして、このウッド・フレーミング・コンストラクションには、以下のような構法があると書かれていた。

●ヘビーティンバー(重量木構法)
●ポスト&ビーム(柱・梁構法)
●バルーン・フレーミング(通し柱構法)
●プラットフォーム・フレーミング(床盤構法)
●ログハウス(丸太積み構法)

そして、アメリカではログハウスは別にして上の4つの構法は異質のものとは考えておられず、同じ木質構造の仲間として捉えていた。
つまり、一戸の木造住宅を造る時、メインはプラットフォーム・フレーミングであっても、吹き抜け空間の壁にはバルーン・フレーミングを使い、その巨大な吹き抜けの小屋架けにはヘビーティンバーを用い、階段回りやポーチにはポスト&ビームのテクニックを用いるという具合に。
そして、カーペンター養成の4年制の夜間学校では、日本の大工さんの必須科目である難しい規矩術を徹底的に教え、その上で4つの構法を教えていた。
設計事務所は、この4つの構法を駆使してプランをつくる。
構造計算で安全性が確認されれば、いろんなデティールが現場に出現してくる。
あれが出来てこれが出来ないというのでは、一人前のカーペンターとは言えない。

実際にアメリカの建築現場を歩いてみると、いくつかの構法が混合して用いられている。
とくに100坪以上の住宅では、いろんなテクニックや金物が、これでもかというほど使われている。中には鋼製の梁や門型システムまでも取り組んでいる。
それらを見て回っていると、木質構造というのは「これほどまでにフレキシビリティに富んでいるのか」と感心させられる。
したがって、私は日本の木軸工法はポスト&ビーム構法として捉え、何の違和感もなかった。
ただ、アメリカのポスト&ビームには、決してポストに穴をあけない。柱の強度を極端に落とす仕口は一つもない。ビームは5mm以上の厚い金物でポストに緊結されていた。その金物の種類の多かったこと…。羨ましいと思った。
故杉山英男先生は、日本伝統的な民家住宅は大貫構法であり、この最大の欠点は柱に胴差しを取り付けるためにあけられるミゾによって、地震の時に小黒柱や大黒柱が折れるためである、と戦前の地震の調査記録をもとに立証された。

クギや金物が高価で入手出来なかった時代。
その時、日本の匠達は金物を使わなくてもよい独自の仕口や継ぎ手のテクニックを開発してくれた。やたらと手間暇はかかるが、最低の強度を保つにはそうするしかなかった。
その歴史的な意義を否定する者は誰もいない。
だからといって、そうした仕口や継ぎ手というテクニックに、木質構造の真価が潜んでいるかのごとき発言が時折見られる。これは木を見て森を見ない類。
消費者の側に立っての発言ではない。

さて、北米のウッド・フレーミング・コンストラクションをオープンな形で日本へ導入しようとした時、素人の無鉄砲さというか無知の悲しさで、すべてをまとめて導入出来ると考えた。
つまり、ヘビーティンバーも、ポスト&ビームも、バルーン・フレーミングも、プラットフォーム・フレーミングも…。
そして、杉山先生に相談したら、「全体系を導入するなどとはとんでもない。とりあえずプラットフォーム・コンストラクションだけにすべき」とたしなめられた。
とくにヘビーティンバーやポスト&ビームにまで言及すると、建築基準法ならびに施行令第3章第3節の条文に触れてしまう。
となると、基準法ならびに施行令をつくった建築界の大御所が黙っているわけがない。もめて大ごとになり、アブハチとらずになってしまう…。
「2兎どころか4兎を追うなどという発想はバカげている」と。

といった次第で、北米からのウッド・フレーミング・コンストラクションの導入は、ほんの1/4のプラットフォーム・フレーミングだけを、基準法の体系をいじらずに告示という形で付加する形で収められた。
ただ、吹き抜け空間や勾配天井の空間づくりを可能にするために、公庫の仕様書の中に204材だと壁の高さは3.2メートルまでしか出来ず、それ以上の高い壁は206材としなければならないというバルーン・フレーミングを可能にする条文を最初のピンクの標準仕様書の中にこっそり忍ばせておいた。だが、いつのまにかこの条文が消されてしまったのはいささか残念…。

こういった経緯をほとんどの人は知らない。
このため、北米の木造住宅はすべてツーバィフォーによるプラットフォームだと考えている人が、ツーバイフォー信者派にも、アンチ・ツーバィフォー派にも多い。
木質構造というのは、軸組か壁組かのいずれかしか選べないというような、二者択一の窮屈なシステムではない。
ただ、鉛直力や水平力の流れは、軸組と壁組では大きく異なる。
その構造上のポイントだけは十分に心得ておかねばならない。
それがないと、それこそシッチャカメッチャカになってしまう。

軸組と壁組の融和の前に書いておかねばならないことがある。
毎度のことなので、分かっている人は飛ばし読みをしていただきたい。
戦時中に木をやたらに伐採したので、日本の山は禿げ山。
戦後の都市の復興に用いられた柱材は3寸のものがまかり通っていた。その3寸の通し柱に胴差しのミゾをほる。このため、現場へ運搬する途中で通し柱が折れるということが度々あった。
このため「そっと運べ」と親方は見習いを叱っていた。
今では考えられないことが当時の木造には平気で通用していた。

建築学会や建設省の役人は、こんな木造住宅に見切りをつけた。
日本の山には、これから庶民が必要とするだけの資源としての木がない。
それに、木材価格はいたずらに高騰する。
したがって見切り時だと考えたのは、2つの点を除いては正しかった。
1つは、消費者の木造住宅への志向の強さ。
もう1つは、日本の山には木が無かったが、四面海に囲まれた日本には、世界各国から安い木材が船でどっと押し寄せてくるということを見通せなかったこと。

今から57年前の1952年に、住宅金融公庫の木造の標準仕様書が出来たのを契機に「これからの日本の庶民住宅は、RC造と鉄骨造しかない。木造よさようなら!  RC造・鉄骨造よ今日は!」という宣言を行い、ほとんどの建築学会人がRC造と鉄骨造へ雪崩をなして移行していった。
そして、木質構造で孤塁を守っていたのが杉山先生。(詳細は2006/7/31の今週の本音の「杉山先生を偲ぶ会」を参照されたし)
何しろ、鉄骨造ではいいかげんな防火実験で耐火認定を認めていながら、学会と建設省は木造を目の敵にして襲いかかってくる。開始された猛烈な木造潰しに独りで闘うには限界があった。

その木造潰しに「待った」をかけたのが、ほかでもない枠組み壁工法。
今までの日本の木軸工法は、棟梁の経験と勘に頼っていた。
その木質構造に科学の光を当てるきっかけを与えてくれ、背中を押してくれたのが、北米の木質構造の膨大な実験データと実績だった。
杉山先生が先頭を切り、枠組み壁工法を橋頭堡にして木質構造の研究とその研究成果をもとに復元に全力が傾注された。
その動きに、林野庁が素早く呼応した。

こうして、鉄骨造とRC造へ流れていた奔流を命がけでくい止め、日本の木質構造をここまで復元してくれた。
この原動力は間違いなく杉山先生であり、オープンな枠組み壁工法であったという事実は、決して忘れてはならないと思う。
posted by unohideo at 22:36| Comment(0) | 木質構造と林業・加工業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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