日本の木軸構法を根本的に変えたのが阪神淡路大震災だった。
私個人としては、中越地震の激震地川口町で提起されていた問題点が、神戸よりもはるかに大きかったと感じている。
だが、(1)何しろ豪雪地の山の中で人的被害が少なかったこと。(2)プレハブやツーバィフォーなどのメーカー住宅がほとんどなかったこと。(3)このため、学者や技術者、特に木質構造の権威者による本格的な調査がなされなかったこと。などにより、貴重な研究のチャンスが活かされていないのが残念。
中越に対して、地震がないと盲信されていた神戸の木造、鉄骨造、RC造はあまりにも弱かった。無筋の基礎も多くあった。
その中で、一番被害が少なかった構造体がツーバィフォーだった。
このため、ツーバィフォー業界は慢心してしまった。
ホールダン金物など若干の改良はなされたが、根本的な検討は必要なしとされた。
一方、木軸は、展示場のモデルハウスまでが倒壊するという致命的な打撃を受けた。
通し柱が折れ、1階に寝ていた数千人のお年寄りが落下してきた2階に押し潰され、即圧死。
2度とこんな悲劇が起きないように、抜本的な対策が求められた。
そして、今までの羽子板ボルトと筋違いに変わって誕生してきたのが金物工法。
それまでの木軸構法の合理化は、ホゾ、ミゾ加工を工場の機械で行うプレカットの普及でしかなかった。乾燥の足りない柱に背割りをしてのプレカット。
構造的な強度はほとんど改善されていないものだった。
金物工法は、最初は乾燥材を前提にしてスタートした。
そして、すべてではないが、外壁には筋違いに変えて面材を用いるようになった。
そして、床は今までのように小さな転ばし根太を用いて、各室ごとに床を区切るのではなく、1階は3尺間隔に土台と大引きを入れ、その上29mmの厚い構造用合板を柱の部分だけを欠き込んで一体化する、プラットフォームに近い形が生まれてきた。
そして2階の床も3尺とか1.5尺間隔にセイの大きな根太とか梁を入れ、これまた29mmの構造用合板で一体床を構成する構法が生まれてきた。
そして、より構造強度を安定させるために、乾燥無垢材が集成材に変えられた。
このツーバィフォーのメリットを取り込んだ構法は、室工大鎌田先生が木軸の最大の欠点だと指摘していた外壁の気流の流れを完全にシャットアウト。
小細工を施さなくてもよくなり、木軸の耐震性能や断熱性能および施工精度を一気にアップした。
ナイスのパワービルドやトステムのスーパーストロングをはじめとして、多くの建材商社や木材加工メーカーが、羽子板ボルトと筋違いに変わる剛な金物と面材と集成材の柱と梁による新しい木軸構法へ移行した。
さて、面材を用いた木軸構法が、実際のところどれほどの耐震力を持っているのだろうか。
その実験場となったのが中越地震だった。
激震地の川口町は豪雪地で、ほとんどの住宅が丘地にあるといってよい。
豪雪地のために1階は頑丈なコンクリートの高床になっており、使っている柱は最低でも4寸。5寸のものも見られた。
このコンクリートの高床は、何回にも及ぶ余震に見舞われたが、欠損しているものはほとんどなかった。非常に丈夫な施工にびっくりさせられた。
そして、神戸では細い柱の家が多く、烈震地では7割の家が倒壊していた。
これに対して、豪雪地で柱が太く、基礎が破壊されていないのに、烈震地の田麦山では100戸のうち倒壊を免れたのが10戸だけ。90%にも及ぶ倒壊率。
武道窪では23戸のうち倒壊を免れたのが1戸のみ。
神戸に比べてその被害率の大きさ、つまり直下型の2400ガルの脅威がいかに怖いものであるかを教えてくれていた。
この田麦山や武道窪に、プレハブやツーバィフォー工法の家がなかった。
唯一あったのが地場の渡部建築が施工したスーパーウォール。
このスーパーウォールもかなりの被害は受けていたが、見事に全戸とも倒壊を免れていた。
外壁の面材が大きく物を言っていた。
しかし、後で壁をはがして点検したら、多くのホールダン金物が曲がるなどの被害を受けていた。一番ひどい例はボルトの先が千切れていた。
そして、内部の壁に使われていたのは柱2っ割の厚い筋違い。
これが圧縮され、弓のように面外に坐屈して内部のボードを綺麗に弾き飛ばしていた。
当然、後で全面的に内部のボードや壁紙の張り替えが必要に。
さて、この中越地震から学ばなければならない点が、最低3つあると私は考える。
1つは、木軸であれ、外壁の耐力壁には面材を用いるべきだということ。
2つは、内壁も筋違いをやめて石膏ボードなどの面材で耐力壁を構成すべきだということ。
そして、3つめは、木軸でも金物工法であれば、2階の床を剛なプラットフォームにしても通し柱が折れる心配が少ないこと。
それまで、公庫の技術屋さんと木軸工法の2階床をプラットフォーム化することの是非を議論したことがある。
ほとんどの意見は、実験結果に照らしてホゾ、ミゾのとった羽子板ボルトの在来の木軸では、床をプラットフォーム化して剛にすべきではないというもの。
剛にするとそれだけ負担が通し柱にかかり、より折れやすくなる。
こうした議論から、金物工法に変えた場合に、果たして剛な床が通し柱にもたらす懸念が払拭出来るかどうかが課題であった。
それが、柱が太かったということもあったが、川口町の烈震地で通し柱が折れるという懸念を見事に振り払ってくれた。
このことによって、日本の木軸構法は生まれ変わったと言ってもよい。
しかし、未だに古い木軸が、地方の製材所を中心に根強く残っている事実も忘れてはならない。
この集成材によるプレカットの金物工法。
それは現場の建て方を容易にし、生産性を高め、そして現場における端材などの発生ゴミの減少に大きく役だっている。
つまり工期的にも耐震性でも、ツーバィフォーに決して劣らないという木軸構法が誕生したのである。
これが、阪神淡路大震災と中越地震から貴重な学習を重ねた木軸脱皮の証。
さて、ここでツーバィフォーを振り返ってみよう。
アメリカの木造住宅需要の65%は、環境を含めて開発するランドプランニングによる分譲住宅。大都市の庶民の住宅はほとんどがこれ。
そして、農家など地方の需要は20%弱で、これはプレハブのカタログから選ぶレディメィドで我慢している。我慢出来ない者は自分で建てるしかない。
そして15%ぐらいが、ビバリーヒルに代表される金持ちにの特注によるカスタムハウジング。これにはヘビーティンバーやバルーンフレーミングが多く採用されている。
いずれにしても、大都市で圧倒的な比重を占める分譲住宅は、工場で木材を加工するのではなく、現場を工場として捉え、大工作業の細分化とIEをはじめとした工場で確立した技術体系の全面的な採用で、生産性を飛躍的に高めた。運送コストも大幅に削減し、さらにコストダウンに繋げた。
日本にプラットフォーム・フレーミング工法をオープンな形で導入した時、この「現場を工場化する」というコンセプトも同時に導入した。
しかし、分譲が主体ではなく、散在戸建て住宅が主体の日本では、大工を建て方、断熱、ボード、ドライウォール、造作と5分類することには、一部を除いて成功しなかった。
その最大の原因は、日本の分譲業者は土地転がしで儲け、建築の生産性の向上で儲けるという発想が1つもなく、それぞれの工務店へ細分化発注しかしなかったから。
このため、一人の大工が建て方、断熱、ボード、造作までを兼ねるのが当たり前になり、生産性の向上が大きく遅れた。
そして、散在戸建ての現場加工で、もう一つの困難な条件が発生してきた。
それは産業廃棄物を規制する動き。現場に大きなゴミ捨て箱を設け、その中にランバーの切り端やボードの切り端を捨てることは次第に許されなくなってきた。現場の騒音やノコ屑に対する近隣からの苦情にも対応する必要に迫られてきた。そして、何よりも木軸金物工法に比べてツーバィフォーの建て方の時間の遅さが問題になってきた。
このため、ツーバィフォー工法のパネル化が全国的に進んだ。
しかし、木軸の場合は構造体の木軸の間にパネルをはめ込んでゆくだけ。
これに対して壁工法の場合は、壁そのものが構造体。
壁構造は、壁が一体化していて初めて耐震強度が出る。
ところが、運搬の都合上パネルは5メートル以内に切断される。
それを現場で一体化するには、頭つなぎを現場施工とし、パネルのジョイント部分の上枠と下枠の継ぎ目を変え、ジョイントの部分の面材は後張りにしなければならない。
また、床に関しては、とくに2階床はフレームをパネル化して現場へ運ぶのはよいが、合板は必ず現場で千鳥張りしないとダイヤフラムとは言い難い。
こうした、壁工法の原則を無視するツーバィフォーのパネル化が、一部で進行しているのは事実らしい。
ツーバィフォー建築協会が、こうした無定見なパネル化に対して、ほとんど改善策を用意していないという批判をたびたび聞く。
もし、それが事実としたら、これは由々しき問題である。