2010年09月15日

日本の古い木造建築に対する基本的な認識のなさ



ごく最近、秋田憲司著 「完全無添加住宅の作り方」 (東京書店刊 税込1000円) を読んだ。
化学物質過敏症の患者にとっては、この本は朗報。
私も、著者の努力を高く評価する。
しかし、この本の内容に全て賛同かと言われれば、そうはゆかない。
賛同する点よりも、むしろ反駁しなければならない点が多すぎる。
なかでも、著者は科学者でも研究家でもないのに、データをきちんと示さずに、個人的な独断を堂々と並べ続ける。
読んでいるうちに、投げ出したくなってしまった。
この著に関しては、後ほど 「独善的な書評欄」 で簡単に取り上げたい。

この著に限らず、最近読んだ古い日本の木造建築に関する数冊の著書でも、耐震性や防火性という基本性能で誤った記述をしているものがあまりにも多い。
そういった点については、すでに何回となく触れているので省かせていただくが、気密性に関しては今まで正確に触れたことがなかった。
したがって、今回は古い木造建築の気密性に絞って考えてみたい。

日本の建築界で、古い木構造の気密性について最初に触れられたのが明治大学建築学科の清水一先生であった。
それは今から40数年前。
何という著書名かは失念したが、書かれていた内容は今でもはっきり覚えている。

「日本の古い数寄屋造においては、木と壁の部分に隙間が生じないように、細心の注意を払って工事をしています。木に溝を掘って繊維を埋めてから木舞いを組み、土壁を木に沿うように塗っています。それほどまでして造った名匠の数寄屋であっても、冬期の過乾燥で木材は収縮し、壁との間に隙間が生じます。その隙間を集めると、30センチ角の穴が2つ空いている勘定になります。数寄屋建築における最大の欠点は、この隙間の大きさにあります」

今から10年ほど前にこのことを書いたら、坂本雄三先生から 「清水一先生などの名は聞いたことがない」 と一蹴された。しかし、日本の木造建築における気密性の研究における草分け的な存在者は、間違いなく清水先生。

(30cm×30cm)×2=1800cm2

仮に数寄屋造の広さが100m2だったとします。
とすると、この数寄屋造の相当隙間面積は18cm2/m2ということになります。
R-2000住宅の基準の20倍、ドイツのパッシブハウスの基準の60倍もの隙間があることになります。
この隙間だらけの家こそが、長年日本人の苦痛の種であり、日本の木構造の泣き所の一つであった。
克服すべき最大の課題でした。

隙間相当面積が18cm2/m2という住宅は、「内外の温度差がゼロの家」 と言っても過言ではありません。
つまり、外気が0℃なら室内も0℃。
そして、昔の日本の家庭用暖房としては、ヒバチ、コタツ、イロリしかありません。
この中で、イロリは薪をくべている時は、火が当たる面だけは暖かいが、それ以外は外気とほぼ同じ。
昔の小説や記録本を読むと、「朝眼が覚めると、布団の上に雪の結晶が落ちていたことがある」 とか 「台所の水ガメには必ず氷が張っていた」 などという記述にぶつかる。
これは決して大げさな表現ではなく、半世紀前までの日本の住宅は全てこのようなレベルだったのです。

あのフランク・ロイド・ライト。
有名な 「有機建築」 の中で、日本の木造建築に感動し、広く紹介してくれていますが、日本の住宅の冬の寒さには音を上げています。
帝国ホテルの設計をしている時、大倉喜八郎邸に招かれ、19皿にもおよぶフルコースを自宅でご馳走になっています。
しかし、暖房としてはヒバチしかない。このため、あまりの寒さに食欲がなく、ほとんど手をつけられなかった。
「日本人は、なんと寒さに強いのだろう」 と心から感心したが、後でラクダのモモヒキをはき、長袖のシャツを着て、その上に何枚もの着物を併せ着しているからだと知り、
住宅の気密性の悪さに呆れている。

昔は 「着膨れ」 という言葉があった。
ラクダのモモヒキを穿き、ドテラを着て、家の中でも首にエリマキを巻き、ハゲ頭には防寒帽をかぶって生活していた。
気密性が悪くて、内外の温度差ゼロの住宅では、コタツから抜け出すことが出来なかった。
内外の温度差ゼロの住宅は、家の中の水は凍ることはあっても、窓や外壁内部に結露が生じるということはなかった。
そして、このような日本の生活に革命の兆しが出てきたのが、1964年に開催された東京オリンピック前後から。

まず、最初に登場したのがアルミサッシ。
ついで、石油ストーブ。

それまでは月に2万窓しか売れていなかったアルミサッシが、月に100万窓の大台を突破したのがオリンピックの年。
木製の建具の値上がりとサッシの量産効果で価格が下がり、相対的にアルミサッシが安くなったから。
そして、気密性の良いアルミサッシが、日本の木造住宅から隙間風を大幅に減らしてくれた。人々にとって、救いの神となった。

同時に、石炭から石油への燃料革命が同時進行して、全ての家に石油ストーブやガスストーブが入ってきた。
気密性の良い部屋での石油やガスの燃焼は、二酸化ガス中毒の危険と、アルミサッシの窓に結露をもたらした。
この結露が、サッシだけなら問題が少なかった。
40年近く前から、北海道で壁の内部結露や、床下でのなみだ茸の発生が大問題となってきた。

壁内結露問題は、現時点では理論的に問題は解消している。
必要な資材と技術が開発されてきている。
いまどき壁内結露を起こすような業者は、消費者から相手にしてもらえない。
だが、窓の結露問題は、未だに全国的にある。
家庭よりも高層ビルなどの方がひどい。
高齢化ということで、これからは夏期の29℃とか30℃での高温低湿での効率のよい空調換気システムが求められる。
そして、冬期はインフルエンザウィルスを家庭や職場から追放してゆくには、相対湿度50%という加湿性能が求められる。
その相対湿度50%で結露しない開口部というと、東京でU値が1.0W、寒冷地では0.7W以上のものが求められてくる。
これに対する産業界側の対応が遅れている。

そして、これからの省エネ化の中で、気密性能はますますシビアーになってゆく。
鉄骨プレハブのように2cm2/m2がやっとだという住宅は、排除してゆくべき。
最低で0.5cm2/m2という時代が、すぐそこまできている。

こういった基本を踏まえていない住宅論議は、意味がない。
正直言って、つまらない。



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2010年08月30日

木構造住宅普及策より日本を救うのは円高対策!


半年前に東大農学の安藤直人先生にお会いした時、「いまほど木構造建築に光が当たっている時はない。政府は100%どころか120%の支援をしてくれている」 と語っておられた。
かつて、杉山英雄先生が孤軍奮闘されていた30年前とは様変わり。
ところが、木構造のミサワ、住林、三井ホームをはじめとした木構造の住宅各社は、この潮の替わり目を活かしていない。
太陽光発電のみに血道をあげている。

4日前の日経新聞に、国交省は来年度の予算要求で、木構造住宅・建築の促進策として、今年度の2倍以上にあたる120億円を織り込む方針と伝えている。
今年度は「木のまち・木のいえ整備促進事業」として50億円計上していたが、来年度はこれを2倍以上の110億円を要求する方針。
国産材でつくる長期優良住宅に対して、工務店やメーカーに最大120万円を補助する事業は引き続き継続。
住宅以外で、養護福祉施設とか学校、病院など、構造と防火に優れた大規模木構造建築に対する応援姿勢を強く打ち出している。
安藤先生が 「120%の支援体制」 と言われたのは、決して過言ではない。
ただ、それを受け入れる業界側の体制づくりが、大きく遅れている。

さて、日本の国産材が不振に陥ったのは、外材の輸入にあると言われてきた。
そして、「その輸入を促進してきたのがツーバィフォー工法であり、輸入住宅である」   と目の敵にする的外れな論評が今でもささやかれている。
私どもがツーバィフォー工法のオープン化を勝ち取る以前から、日本で使われる木構造の60%以上が、外材に変わっていた。
それなのに、大径木から芯のない細い3寸角材などを製材して、材木屋さんは大工に売り込んでいた。芯去材の軸組工法よりも、スパン表が揃ったツーバィフォー工法が科学的であり、耐震強度も高く、防火性に優れている。
どうせ輸入材を使う以上は、軸組よりもツーバィフォー工法に変えた方が、消費者に安心と優れたデザインを提供出来る。
これが、ツーバィフォーをオープンな形で導入した時のビルダーのポリシー。
いささかたりとも卑下する必要がない。

日本の山林が疲弊したのは、目先にとらわれて広葉樹を伐採して山の頂上や谷峡まで、スギ、ヒノキの針葉樹を植えさせた林野行政の失政にある。
一方、山林地主を甘やかして過保護するのではなく、強制的に作業林道を敷設させ大型機械を導入させる。そして、生産性を大幅にあげるというヨーロッパ各国が採用していた基本施策を、林野庁は放棄してきた。
ここに、最大の問題点がある。
そして、日本の林業や農業に決定的な追い打ちをかけたのがプラザ合意。
ドルが金本位制の制約から逃れ、1ドル360円もしていた固定相場から、一転して200円台の円高にシフトさせられた。
国産材が国際的な価格競争力を失った致命傷は、アメリカによる円高政策にある。

しかし、日本の産業界は、とくに中小産業人は、この不当な円高を必死になって耐え忍んだ。そして、その後の円高の中にあっても、生産性の向上できちんと輸出をして日本の外貨獲得と経済の発展に寄与してきた。
しかし、中国の経済開放と大手メーカーの後進国への技術移転によって、80%を占めている日本の中小企業の企業基盤が損なわれてきている。
今、日本経済が停滞し、地方経済が空洞化してきているのは、こうした後進国の発展と言う避けることが出来ないグローバル化の影響。

民主党の財務大臣は、1年前には円高大歓迎を叫んでいた。
円高のメリットは、海外から割安で物が買えるということと、外国旅行が割安で気軽に行けるという点にある。
つまり、輸入木材は安いし、サッシなどの手当ても容易。
食料品や石油、鉄鉱石、石炭などの原資材も安く入手出来る。
女性は、ルイビトンなどの高級品を手軽に買える。
2年前は、ユーロは160円台にまでいった。それが現在は107円台。
なんと2/3の値段でヨーロッパへゆくことが出来、エルメスを買うことが出来る。

これに対して、円高のデメリットはなんといっても日本の輸出の急ブレーキ。
ヨーロッパ各国は、ギリシャによるユーロ安の恩恵で、とくにドイツは車をはじめ太陽光発電、サッシなどの工業製品の輸出でウハウハ。
隣の韓国はウォン安で、円高の日本に比べて輸出価格は5割近い大幅な割安で、日本は太刀打ち出来ないでいる。
こうしたデフレと円高政策の影響が、日本を真綿のように締め上げている。
そして、財界嫌いで労組寄りの民主党は、円高の影響を受けるのは財界などの経済界であり、庶民はメリットの方が多いと捉えている、と勘ぐりたくなる。
経済のことが分かっていない。
それほど無策で、デフレに対しても何一つ効果的な手を打っていない。
政策の正当性はともかく、こうした問題に具体的な提言をしているのは、現時点では 「みんなの党」 だけ。

2〜3年前、円が安かった時に、国産材の丸太は中国へ売れた。
農産物の輸出もひところは勢いがあった。
しかし、この円高で、日本のスギ材を輸入しようという諸外国の動きは見られない。
そして、北米や北欧からの大量の製材品の買い付けが続いている。
もし、円が30%安くなれば、国交省が予算を付けなくても、国産材が見直され、外国からのオファーも入ってこよう。

これは、何処までも私の素人考え。
日本の輸出は、これからは高度な技術が必要な高度加工部品が中心になってゆき、自動車や家電などは海外での生産が中心になってゆくであろう。
法人税の高い日本から海外への生産基点の移転は避けられない。
そして、日本のこれからの輸出の中心になってくるのが木材製品であり、安全性とクォリティの高さで信頼のある農産物になるのではなかろうか。

それには、日本政府と日銀は、命をかけて円高を阻止し、30%の円安を出現させなければならない。
そして、この円安が出現出来れば、日本人の海外旅行は難しくなる。
だけれども、逆に海外から多くの観光客が気軽に日本を訪れるようになる。
日本を観光立国に脱皮させ、木材と農産物の輸出で地方を活性化させねばならない。
観光立国を完成させるためには、見苦しい電柱を地下へ埋設させる投資を、国交省は率先して進めねばならない。

誰が、この大事業をやってくれるのか。
今朝の日経新聞の世論調査では、首相にふさわしいとして挙げたのは菅氏73%に対して小沢氏はたったの17%。
読売新聞や毎日新聞の世論調査を見てもほぼ同じ。
農家に対するバラマキ予算で、票のことしか考えていない小沢氏は、農産物輸出時代の首相としては失格者。絶対にふさわしくない。
かといって、私以上の経済音痴の菅氏を手放しで讃えることも出来ない。

日本を、根本的に構造改革してくれるのは、一体誰なのだろうか?



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2010年06月07日

北海道住宅の会の6月3日(木)の講演会のプレゼンファイル


NPO法人・北海道住宅の会(林芳男理事長)は、さる3日に2つの興味あるテーマで講演会を開催した。

●ツーバイフォー工法への道産材の普及  キタヂカラ木材  上島信彦氏

●北米のエンジニアウッドの最前線を視察して  道立総研林産試験場 大橋義徳氏

いくら興味があっても、航空運賃を払って札幌まで聴きにゆくわけにはゆかない。

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このうち、上島氏の講演写真とプレゼンファイルが送られてきたので、そのまま掲載致します。
言わんとしている点については、各自汲取りください。

present.pdf


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2010年04月25日

帯広に誕生した100%道産材による206モデル


NPO法人・北海道住宅の会(林芳男理事長)は、十勝ツーバイフォー協会(赤坂正会長)や地元丸十木材などの全面的な協力を得て、100%道産材による206のモデル棟を建築中で、間もなく一般公開される。

東大・安藤直人先生の言葉通り、現在は「木造建築にはものすごいフォローの風が吹いている」のは間違いのない事実。
ともかく学校、病院、保育所、擁護施設など、「低層の非住宅建築は100%木造にすべし」という政策が打ち出されている。
もちろん、十分な耐震、防火、省エネ対策を行った上でのこと。
しかし、多くの地場ビルダーは、「この追い風を活用するだけの企画力に欠けている」という指摘があるのも事実。

そして、都道府県て単位では「地産地消」ということで、地場産材の採用に補助金を出しているところも目立ってきている。
まさに隔世の感があるが、ビルダーや消費者にとっては地産地消は必ずしも喜ばしいことばかりではない。
必要なことは、十分に乾燥され、一定の精度と性能が保障されたランバーが、必要な時に、必要なロットで入手出来るかどうか。
たとえば、安い柱材だけがいくらあっても意味がない。大きな集成梁や、時には門型構造も必要になってくる。
つまり、総合的に国際競争力を持った製材業が地場に育ってくれないと、ビルダーも消費者も困る。

なかでも、困っているのがツーバイフォーの地場ビルダー。
北海道では新得町の関木材が早くから204材、206材を供給してくれていた。
しかし、横架材の208、210、212材が同時に供給されないと、仕事にならない。
別送便で現場へ搬入されても、余分な手間暇がかかるだけ。
こうした悩みを解消するステップにしょうというのが、今回の林野庁助成事業の「ツーバイフォー工法に必要なすべての構造材を、道の業者の手で、道産材で揃えよう」という試み。

構造材のスタッドは、内壁は204材で外壁は206材。
今まで、関木材が用いていた樹種はトドマツ。
トドマツは39%が建築用に出荷されている。
これに対してカラマツはパレット材、梱包材が主力。建築用はたったの6%でしかなかった。
そのカラマツで、今回204材と206材を生産したのが幕別町のオムニス林業協組。

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そして、JAS甲種基準による仕分けと、打音と一部破壊による強度試験を行っている。
その結果、ヤング係数はSPFよりも優れていることが証明されたという。
つまり、カラマツは、建築用としては合板や集成材用だけでなく、スタッド材としての有効性が確認されたというわけ。
ただ、構造材としての経年変化による問題点の有無については、これからモデル棟で検証されてゆくことになる。

今回のモデル棟は、一般的な住宅とは内容が異なる。
どこまでも、道産材による構造材に焦点が当てられている。
施主の丸十木材は、一階を土間床にして全体を車庫として使用する。
中に背の高い車があるので、一階の天井を高くしている。
206で、3メートル近いハイスタッドにカラマツが使われている。
それと、屋根トラスに204と206材が使われている。
一方、二階のスタッドには関木材のトドマツが採用されている。

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なお、二階の床は、スパン2間の部分には久保木工のI型ジョイストが採用されている。
このI型ジョイストのフランジはトドマツで、ウェブはカラマツ合板。
I型ジョイストには203材を縦使いしているメーカー品が出回っているが、久保木工は204材を横使い。
このため、材積が多くかかるので割高だが、作業性はすこぶるよい。
そして、スパンが4間の部分はカラマツの集成梁を910ピッチに入れ、丸玉産業のカラマツ構造用合板を用いている。
その2つの収まり具合が一見できるようになっている。
なお、側根太、端根太には、試作品のカラマツのLVLが用いられている。

そして、開口部は久保木工のトドマツ集成材によるウッドサッシ。

このモデル棟は、そうしたカラマツやトドマツの構造躯体を見せることが目的。
このため、充填断熱材も入れられなければ石膏ボードも張られない。
もちろん、仕上げもない。
そして、どこまでも外断熱だけ。
つまり、このモデル棟は断熱性能とか気密性能を問うものではない。すべて道産材で、ここまでエンジニアリング出来ますという見本。

問題は価格。
残念ながら試作段階のものが多く、量産体制も整っていない。
このため、円高ということもあって、輸入の構造用材に比べると現時点では50%から100%高だという。

山にいる森林価格は安くても、搬出や製材・加工に至る工業化の遅れが、大きく影響していることがよくわかる。

しかし、北海道でツーバイフォーのエンジニアリングが成功しないと、他県での成功は考えられない。
そういった面で、NPO法人北海道住宅の会と十勝ツーバイフォー協会が、協同で「オール道産材ツーバイフォー住宅」の長期優良住宅60棟の申し込みをした。
その結果が待ち望まれている。
200万円の補助金が出れば、価格差は完全に克服できる。
そして、次第に量産体制が整備されてゆけば、国際的な競争力も付いてこよう。

新しいトライが、帯広で始まった。







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2010年01月25日

木質構造のメッカ、「杉山英男記念館」へ行こう!



多分、30年ぐらい前のことだったと思う。
帰りが同じ方向なので、都心から吉祥寺の杉山邸へタクシーで向かっている時、「三井ホームが、新百合ヶ丘に私の事務所を用意してくれましてね・・・」 と、先生は嬉しそうに話された。
先生は資料の蒐集魔。
何を書くにも、きちんとした資料やメモをもとに書かれている。
私のように「〇年前のことだったと思う」などとは絶対に書かれない。「何年何月のことだった」と書かれている。
それだけに、資料置き場が研究室や自宅だけではとても足りない。
いつも、「資料の置き場がなくてね」 と困っておられたから、「良かったですね」 と、思わず大きな声を出した記憶がある。

その新百合ヶ丘の建物が解体されることになり、当時の実質トップであった岡田副社長の招きで新宿の三井ビルに事務所を移転された。
「最初に井戸を掘った人の恩は忘れてはならない」 と言う中国の格言に倣った美談。

その杉山先生が、5年前に膵臓ガンで永眠された。
三井ホームのトップは、三井不動産出身者が数人も順次交替しており、かつての経緯や先生の資料が持つ歴史的価値が分かる者が不在となり、三井ビルから事務所を引き上げざるを得なくなった。
困ったのが邦子夫人。
自宅だけではなく、三井ビルの外にも先生が借りていた小さな事務所があり、そこもここも資料の山。自宅へ引き取れば、それこそ食事をするところも寝るところもない。
第一、床が抜けてしまう。

その時、杉山夫人に救いの手をさしのべたのが一条工務店。
同社は今から32年前の1978年に、浜松で産声を上げた地場ビルダー。
当時から東海地震のことが叫ばれていた。
静岡で、木軸で住宅業をやって行くには、ツーバィフォーに匹敵する耐震性の高い構造体を用意しなければならない。しかし、どこをどのようにすればよいかという具体的なデティールになると判らないことばかり。科学的に立証することが出来なかった。
創業5年目の一条工務店は、断られてダメ元と木質構造の最高の権威者であった東大の杉山研究室へ教え乞うために押しかけた。

明治大学で22年間教鞭を執られていた杉山先生は、1973年から東大農学部へ移られた。
余談になるが、私は杉山先生に一度だけご馳走になったことがある。
吉祥寺・伊勢丹の近くの小料理へ案内され、「今日は私のおごりです」と言われた。
「何があったのですか」と聞いたら
「実は6月から東大へ移ることになったのです・・・」
それまでの4年間、頻繁にお会いさせていただいていた中で、初めて接することが出来た恥じらいを含んだ子どものような笑顔だった。

一条にとって幸甚だったことは、先生は静岡市生まれだったこと。中学まで地元の学校に通い、後に一高から東大建築学科へ進んでいる。
また、ツーバィフォー工法のオープン化に際して、地場の元気の良いビルダー達と何回となく議論を交わし、一緒にゴルフをした経験も先生は持っていた。ツーバィフォーや大貫工法を含めた木軸の建築現場に明るく、識見も、交友範囲も、懐も深かった。
決して大手メーカー偏重ではなく、むしろ大手企業の中にたむろしている無責任で定見のない経営者や技術者の言動には、強い嫌悪感を持っておられた。

戦後、木造建築を罵倒する建築学会の大合唱。
そして多くの研究者が木質構造から離反してゆく中で、独り孤塁を守った杉山先生の反骨精神と信念は、通り一遍のものではなかった。
したがって、当時杉山先生のもとに参集した人々は、利害関係で結ばれるということではなく、木質構造を本気で育ててゆこうというポリシーを共有する仲間であり、師弟だった。
言うならば「木質構造改革の思想集団」。
そうした下地の中での地元ビルダー・一条工務店からの相談。
杉山先生には同志として大歓迎することはあっても、断る理由は1つもなかった。
翌年には一条工務店からの派遣研究員を受け入れ、1986年には2階建て木軸工法の実物大試験を、そして1988年には木軸の3階建て実物大実験を、浜松の本社敷地内で、杉山研究室の指導のもとに行っている。
木軸で、実物大実験を行ったメーカーは何社あるだろうか・・・。

こうした杉山先生直々の手ほどきを受けて自信をつけた一条は、地場ビルダーからの脱皮を図り、1986年から広島、仙台、千葉などに展示場を出展し、全国展開を始めている。
そして翌1987年には、早くも受注1000棟の大台突破をなし遂げている。
同社は、やみくもに突っ走ってきたのではない。
きちんとした指導と薫陶を受け、科学的な裏付けをもとに階段をかけ上ってきた。
技術開発の重要性を、会社全体が体質的に理解している。
決して営業先行型でもなければ、広報先導型でもない。
その礎を築いてくれた杉山先生への感謝の気持ちには、特別のものがある。
2000年に東大農正門脇に、集成材による大断面木造による素晴らしい弥生講堂「一条ホール」を完成させて寄贈したのも、その現れの1つ。

http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/etj/hayashi/yayoi/yayoi.html

そして、免震住宅の開発からi-cubeの開発へと、そのバックボーンは引き継がれている。

以前から、三井ビルにあった資料を引き取り、一条工務店の浜松本社内に「杉山英男文庫」を開設したという話は聞いていた。
それらの資料を再整理して、昨年夏に「杉山英男記念館」としてリニューアル・オープンをしたという話を聞いた。
そこで、岡田徳太郎氏をお誘いし、さる22日に訪問してきた。
一緒に訪ねて、先生に最も喜んでいただける1人だと前々から考えていたから・・・。

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本社の2階の階段脇に、記念館があった。

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中に入ると、自宅の書斎にあった本棚をはじめ、机にイス、それにお嬢さんが弾いていたピアノまでが置かれており、当時の杉山邸を彷彿とさせてくれる。
そして書斎の反対側には数々の表彰状やトロフィーなどが飾ってある。
国内だけでなく、海外からの表彰も多い。

この書斎と表彰状の奥に、厖大な書庫が並んでいた。
正直なところ、如何に杉山先生が資料蒐集魔だといっても、蔵書を中心にせいぜい1万点ぐらいだろうと考えていた。

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確かに、学生時代に読んだと思われる古い文芸書などもある。

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そして、建築や木材に関する蔵書は、予想通り多い。
その中に、進呈した覚えのない古い私の著書も数点発見出来た。今さらながら、先生の貪欲さに頭が下がる思いがした。

残念ながら書籍コーナーだけを撮った写真がない。余分な人物が写っているこれしかないので我慢していただきたい。右から一条の岡常務、杉山研で博士号をとった平野次長、岡田徳太郎氏と私。

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こうした蔵書以上に大きなスペースを占めていたのが論文集や各種の研究発表集。
そのほか、各委員会や学会の議事録などの記録。
それが、二重に配置された書籍棚に収納されているので、圧倒されてしまった。

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それだけではない。
日記やメモ。あるいは写真集やネガ。

ともかく50uの記念館の中は書類だらけ。
その数は2万点以上と推定される。
というのは、まだ完全に仕分け作業が終わっておらず、確定出来ないからと言う。
つい最近、安藤直人研の学生さんが1950年当時の、住宅金融公庫の標準仕様書作成に関する資料を探したが、公庫にも国立図書館にも見当たらなかった。
そこで、この杉山記念館を調べたら、ものの2時間で見つかったという。
この杉山記念館は、まさしく日本の木質構造の歴史そのものであり、貴重な資料の宝庫。杉山先生の個人的な財産ではなく、国家的な財産。

研究者でない私だが、もし許されるなら一週間通い詰めて、片っ端から拾い読みをしたいと感じたほどの内容。
研究者や学生だけでなく、木造住宅に関係している人々は、中部地域を訪れるチャンスがあったら、是非一度訪問されることをお奨めしたい。
見学料は無料で、開館時間は10:00〜17:00(年末年始を除く)
事前予約制で、問い合わせ先は (0120)543511。場所は浜松市倉松町4040 一条工務店内。

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同記念館の案内書はハガキ大45ページの小冊子。なかなかよくまとまっている。

なお、杉山英男先生の業績を知りたい方は、下記の2冊がお奨め。

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杉山英男著「地震と木造住宅」(丸善刊 3000円+税)

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「杉山英男の語り伝え」(杉山英男先生追悼記念出版実行委員会刊、東大・農学生命科学研究科、木質材料学研究室内 03-5841-5253。 E-mail: jte@a.fp.a.u-tokyo.ac.jp)


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2009年06月08日

網羅しすぎてピンボケ・木構造讃歌の理論大系

9日早朝から11日まで出張。
このため今回は、早めにアップします。


有馬孝禮著「なぜ、いま 木の建築なのか」(学芸出版社 2000円+税)

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ご存じのとおり杉山英男先生のあとを継いで、林産は有馬先生、木構造建築は坂本功先生という時代が続いた。有馬先生は安藤直人先生の前任者。
木軸だけではなく、ツーバィフォーにも識見が深い。
そしていち早く、若い森林はCO2を吸収してくれるだけでなく、木造住宅はCO2を固定していてくれている「都市の森である」と唱えた。
日本におけるCO2問題の先駆者。
現在は宮崎県木材利用技術センター所長として活躍される一方、2ヘクタールの山林を5年前に購入し、自らスギの植林を始め、高尚で贅沢な「山いじり」という趣味にも励んでいる。

先生の久々の力作に、木構造のおさらいをしながら楽しく読ませていただいた。
しかし、あまりにも内容が多岐に亘っていて盛り沢山。
そのため、焦点がぼけているのが残念。
テーマの「なぜ、いま 木構造建築なのか」について、グサリと胸に響かない。

林産や木質構造の先生に叫んで頂きたいのは、CO2もさることながら省エネ性能。
「木構造建築は、どの構造よりも断熱・気密工事が確実に担保出来、安価に省エネ化が図れて非常に経済的。しかも結露問題に留意し、構造材を厚くすればかなりの長寿命化も可能。あの木骨土壁造のドイツで、近年になって木構造住宅が急速に普及してきているのは、断熱性能の良さが認識されてきたから・・・。したがって、これからはパッシブハウスに匹敵する性能を持つ木造建築に対する正しい理解と認識を、如何に消費者に広めてゆくかが大切だ」と。

その断熱・気密性能と耐震性にピンポイントを当て、そのニーズに応えるため林産業や製材業界はどう脱皮してゆくべきか。
本当の200年住宅をコンスタントに提供するには、ビルダーを中心とした住宅業者はどのような形で責任を果たしてゆくべきか。
高性能サッシや熱回収率の高い換気システムの果たす役割が大きく、その分野へどうして新規参入業者を呼び込んでゆくか。
消費者はどんな心構えで木構造住宅を選んで行くべきか。
などを具体的に論じて欲しかった。
有馬先生ともあろう著者が、この肝心な視点を外している。
それが、いかにも残念。

この著書は6章から成っている。
1章と2章は、日本のスギの特徴と木の強度について学問的に記述している。
しかし、消費者の関心事の (1) 花粉症をまき散らしているスギ中心の今までの林業行政への疑問 (2) 傾斜地や高地にまで自然林の広葉樹を伐ってスギを植林し、動物が棲めない山にし、しかも放置したままでいる林業関係者の責任 (3) 細分化された私有地が荒廃している日本の山林への根本的解決策、などには触れられていない。
また、地場ビルダーが痛感している、(4) 集約化されていなく、互換性が乏しくて使いづらい地場スギ (5) 圧縮スギで強度のある家具や床材の開発が一部で進められているが、一般に温暖低地のスギは強度不足で使いたくない、という疑問に分かり易く答えていない。

3章は含水率、4章はストックとしての木造、5章は木材の加工度を取り上げている。
木材の含水率、およびTJIや集成材などのエンジニアウッドが日本で問題にされたのは、北米からプラットフォーム工法がオープンな形で導入されてから・・・。
それまでの日本の住宅では、時間をかけて天然乾燥させてはいたが、木材の含水率がそれほど問題にされてこなかった。
神社仏閣はともかくとして、個人の住宅に用いられる構造材の乾燥度は25%以上のものがほとんどだった。木口から割れが入り、木材が歪み、捻れるのは避けられない現象だと考えられてきた。あまり柱が歪では困るので、背割りをして吸収した。

昔は、それでなんとか凌げた。隙間だらけの家が当たり前で、人々はコタツや火鉢などの局所暖房で我慢をした。
ところが、アルミサッシが導入され、石油ストーブの時代から全館24時間空調の時代になって、含水率の高い木材の狂いが、ビルダーへのクレームという形で急襲し始めた。
建具の建て付けの悪さなどはかわせるが、サイデングの張り替えやボードの取り替えまで求められるようになってきてはお手上げ。
ビルダーにとっては、乾燥材を採用する以外にクレームから身を守ることができなくなった。
(以下に標示した図は、いずれも著書の中のものをトレースしたもの。本文は白黒だがわかり易いようにとカラーにした)

P1010492.JPG

こうして、上図のように15年前は木軸の柱材でたった4%の比重しか占めていなかった集
成柱が03年の段階で50%を占めている。現在では60〜70%以上に達しているものと推定される。
一方で、無垢の柱材の乾燥化も進んできている。
あのタマホームの現場を調べてみたら、柱は4寸角。間柱はその2つ割で、共に含水率は10%前後と人工乾燥材だった。
川西材を謳い文句にしている地産地消の製材工場を見たことがある。
ズブズブの材が加工され、出荷されていた。こんな材を使ったのでは、いかなる匠といえどもタマホームに勝てない。クレームで負けてしまう。
狂わない木を提供することが、世界的に製材業者にとっては最低の義務になってきている。そのことをもっと強調すべきと痛感する。


そして、木軸だけではなくツーバィフォー工法にまで大きな影響を与えてきているのが上図のプレカット化。
この図では、羽子板ボルトを使ったプレカットと剛接合の金物工法によるプレカットが混在している。従来の大工がやっていたホゾ、ミゾ加工を機械加工に置き換えただけの羽子板ボルト使用のプレカットは、耐震性で問題がある。
これからのプレカットは、門型ラーメンを含めてすべて金物工法でありたい。
その辺りの解説も、不足していると思う。
しかし、図を見れば5年前の04年でプレカット化率が60%にも及んでいる。
この調子だと、今年は80%近くになっているのではなかろうか。
ツーバィフォーと木質パネル工法の比率が20%と仮定すると、大工さん刻みはたった2〜3%という勘定になる。
数寄屋造以外は、CAD,CAMの金物と集成材や乾燥材によるプレカットになるだろう。
そして外壁に面材を使うことで耐震性が飛躍的に高められる。
このプレカットは消費者のためになる。そのことも、もっと強調する必要がある。

この木軸のプレカット化の進化が、ツーバィフォーのパネル化を促し、それが外壁パネルの一体化を損ねるという大問題が発生中。残念ながら著者はそれほど現場に明るくなく、そうした指摘もない。

P1010488.JPG

こうして、上図のように15年前は木軸の柱材でたった4%の比重しか占めていなかった集
成柱が03年の段階で50%を占めている。現在では60〜70%以上に達しているものと推定される。
一方で、無垢の柱材の乾燥化も進んできている。
あのタマホームの現場を調べてみたら、柱は4寸角。間柱はその2つ割で、共に含水率は10%前後と人工乾燥材だった。
川西材を謳い文句にしている地産地消の製材工場を見たことがある。
ズブズブの材が加工され、出荷されていた。こんな材を使ったのでは、いかなる匠といえどもタマホームに勝てない。クレームで負けてしまう。
狂わない木を提供することが、世界的に製材業者にとっては最低の義務になってきている。そのことをもっと強調すべきと痛感する。

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そして、木軸だけではなくツーバィフォー工法にまで大きな影響を与えてきているのが上図のプレカット化。
この図では、羽子板ボルトを使ったプレカットと剛接合の金物工法によるプレカットが混在している。従来の大工がやっていたホゾ、ミゾ加工を機械加工に置き換えただけの羽子板ボルト使用のプレカットは、耐震性で問題がある。
これからのプレカットは、門型ラーメンを含めてすべて金物工法でありたい。
その辺りの解説も、不足していると思う。
しかし、図を見れば5年前の04年でプレカット化率が60%にも及んでいる。
この調子だと、今年は80%近くになっているのではなかろうか。
ツーバィフォーと木質パネル工法の比率が20%と仮定すると、大工さん刻みはたった2〜3%という勘定になる。
数寄屋造以外は、CAD,CAMの金物と集成材や乾燥材によるプレカットになるだろう。
そして外壁に面材を使うことで耐震性が飛躍的に高められる。
このプレカットは消費者のためになる。そのことも、もっと強調する必要がある。

この木軸のプレカット化の進化が、ツーバィフォーのパネル化を促し、それが外壁パネルの一体化を損ねるという大問題が発生中。残念ながら著者はそれほど現場に明るくなく、そうした指摘もない。

P1010496.JPG

そして、5章と6章では、循環型の社会の在り方と地球温暖化対策としての森林、木材、木造を述べている。
これらについては、あまりにも多くのことが語られている。
したがって、上の表だけを参考までに掲載させていただき、あとは省略したい。
ただ、先生の発言で1つだけ目新しい点があった。

バイオマスエネルギーが注目されている。バイオマスは大気中のCO2を太陽エネルギーの光合成によって変換した炭素資源。したがって、それを燃焼してももとのCO2に戻るだけだから炭素収支はゼロ。いわゆるカーボンニュートラルだという。
しかし、時間をとり除いた見方をすれば、化石燃料とて同じこと。大昔の太陽エネルギーで出来た資源で、燃せばもとに戻っただけということになる。片方がCO2の放出がゼロとして扱われ、片方がカウントされるのは本来的におかしい。
この両者に差があるとすれば、次の2点があげられる。
1つは、バイオマスは再生可能な資源であるのに対して、化石燃料は再生が不可能だという点。
もう1つは、森林がCO2の放出を負担しており、木材の中の炭素に関してはカウントする必要がない。つまり、木材として長期に使えば使うほどプラスアルファとなる、と書かれている。
この指摘からすれば、既存木造住宅の戸数が多い国ほど、優遇されなければならないということになるのだが・・・。

有馬先生の著書の内容を紹介するというよりは、自分の考えを述べる方が多くなってしまった。
先生の現在の立場では、なかなか書きたくても書けないことがあり、学術的な記述にとどめられた点が多いと勝手に推定する。
そして、一方的に自分の考えを述べた点についても、先生は許してくださるはずだと、これまた勝手に身贔屓な解釈をしている。
そして、5章と6章では、循環型の社会の在り方と地球温暖化対策としての森林、木材、木造を述べている。
これらについては、あまりにも多くのことが語られている。
したがって、上の表だけを参考までに掲載させていただき、あとは省略したい。
ただ、先生の発言で1つだけ目新しい点があった。

バイオマスエネルギーが注目されている。バイオマスは大気中のCO2を太陽エネルギーの光合成によって変換した炭素資源。したがって、それを燃焼してももとのCO2に戻るだけだから炭素収支はゼロ。いわゆるカーボンニュートラルだという。
しかし、時間をとり除いた見方をすれば、化石燃料とて同じこと。大昔の太陽エネルギーで出来た資源で、燃せばもとに戻っただけということになる。片方がCO2の放出がゼロとして扱われ、片方がカウントされるのは本来的におかしい。
この両者に差があるとすれば、次の2点があげられる。
1つは、バイオマスは再生可能な資源であるのに対して、化石燃料は再生が不可能だという点。
もう1つは、森林がCO2の放出を負担しており、木材の中の炭素に関してはカウントする必要がない。つまり、木材として長期に使えば使うほどプラスアルファとなる、と書かれている。
この指摘からすれば、既存木造住宅の戸数が多い国ほど、優遇されなければならないということになるのだが・・・。

有馬先生の著書の内容を紹介するというよりは、自分の考えを述べる方が多くなってしまった。
先生の現在の立場では、なかなか書きたくても書けないことがあり、学術的な記述にとどめられた点が多いと勝手に推定する。
そして、一方的に自分の考えを述べた点についても、先生は許してくださるはずだと、これまた勝手に身贔屓な解釈をしている。


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2009年03月25日

オープンな木軸壁工法の可能性(下)




プラットフォーム・フレーミングという床盤構法は、ご存じのように戦後、北米の西海岸で開発されたもの。
木質構造としては戦後っ子の新顔。
厚い構造用合板が開発され、それを継ぎ目なく床に張り付け、ダイヤフラムを構成すると地震や台風などの水平力に対して大変な力を発揮することが分かった。
プラットフォームの剛な床が、すべての壁に均等に力を伝える。
最終的に水平力に耐えるのは一体化した壁。
ではあるが、遊んでいる壁をなくした功績がプラットフォームの床にある。
つまり、すべての壁が一致協力して水平力に抗して耐える。

そして、このプラットフォームが、それまで不可欠と考えられていた通し柱を不要にしてくれた。
つまり、木質構造で2、3階建てではなく、5階建てや6階建ても可能になってきた。
地震のないドイツなどでは、昔から木骨土壁構造による6階建てが建てられてきた。
地震がないので土壁を厚くすれば、通し柱がなくても各階毎に床を組み、その上に管柱を建てて継ぎ足してゆくだけで中層建築が可能。
しかし、地震の多い日本や北米の西海岸では、木造の中層建築は夢物語にすぎなかった。
それが、プラットフォーム・フレーミングの登場によって一変。

戦前まで北米の主力となっていたバルーン・フレーミングとポスト&ビーム。
それが、主役の坐をプラットフォームに譲った。
とは言え、バルーンやポスト&ビームが全く使われなくなったというのではない。
最初に見たように、アメリカの現場では対立する構法ではなく、同じ木構造として何の違和感もなく同居して採用されている。
だから、すべてをまとめて導入したいと考えた。
それが不可能だということを杉山先生に教えられ、プラットフォーム・フレーミングだけをオープンな形で導入した。

しかし、30年前は、木軸工法とツーバィフォー工法は、建築現場だけでなく学会でも、全く異質のものとして捉えられていた。
たしかに軸組と壁組では力の流れが全く異なる。
きちんと分けて考えねばならない。
木軸工法しか経験してこなかった大工さんや設計士にとっては、当然のことながら最初は戸惑いがあった。だが、多くの大工さんや設計士は、研修と経験を積んで新工法のコンセプトを素直に受け入れていった。
なぜなら、実際に2階や屋根の上で仕事をしてみると、グラグラする木軸に比べてツーバイフォーは頑丈で、いかにも安定していた。まさに一見は百聞よりも説得力を持っていた。
ただ、学会を含めた一部の守旧派は、ツーバイフォーを木構法として正しく把握せず、RC造や鉄骨造と同じ敵対する工法として捉え、いたずらな敵視を繰り返した。
その期間が30年近く続いた。

10年前に登場した金物工法は、単に今までのホゾ、ミゾによる継ぎ手、仕口を金物に置き替えただけではなかった。
壁と床に構造用面材を採用。
とくに床に厚い構造用合板を採用し、今まで部屋ごとに区切られていた床を一体化した。つまり、プラットフォーム化した。
そのことで通し柱が折れやすくなるという最大の懸念が、幸いにも中越地震で払拭された。
このことにより、木軸とツーバイフォーの壁工法は、一気に距離を縮めた。

現に札幌などでは金物工法で、集成材の太い柱間隔を2間とか3間とばし、その中に206材で組んだ壁パネルをはめ込んでいる例が見られる。
確認申請は木軸でとっているが、内容は文字通り「木軸壁工法」。
これは、ものすごく利口な木軸と壁工法のドッキング。
カッコ良い言葉で表現するなら 「ハイブリッド木構法」。
さて、これからのあるべきハイブリッド木構法なるものを展望してみたい。

まず、外壁の土台材は406。
大引き404を3尺間隔に入れ、鋼製束などで受ける。
そして、2間から3間間隔に4.7寸角(140cm角)の通し柱を建て、足元は逆さT型金物とホールダン金物でしっかり土台に固定。
そして29mmの構造用T&G合板を弾性接着剤併用で千鳥張りして、BN75クギを外周@150mm間隔に、中通りを@200mm間隔に打ち付ける。
通し柱の部分だけは床合板を切り欠いてプラットフォームとする。

この柱の間に外壁は206材(140mm)で組んだパネルをはめ込み、内壁には204材(89mm)で組んだパネルをはめ込んでゆく。
この206材と204材は、必ずしも輸入材にこだわる必要がない。きちんとした乾燥材であれば、内地の杉材でよい。間伐材も厭わない。
ただし、根太が上に乗っかる頭つなぎ材だけは、へこまない強度のある樹種のものを使うか、杉材だったら表面に圧縮した杉板を貼ったものを使いたい。

さて、外壁に206にこだわるのはスブルース材や杉材の強度が気になるからであるが、それよりもこれからの住宅の充填断熱材の厚みが4寸角(120mm)ではどうしても不足すると考えるから。
ドイツのように、5.3寸角(160mm角)を標準にしたいところだが、5寸角でも日本ではままならない。しかし、金物工法で集成材ということであれば、606を求めることは無理難題な相談ではない。
そして、国産の杉材から206の乾燥材を求めるのも、決して無理な注文とは考えない。
ユーザーのニーズに応えるという姿勢があれば、強度が欠ける国産杉材は柱として使うより壁工法のスタッドとして活用した方がはるかに良い。
そして、主として鉛直荷重しかかからない内壁は204材のパネルで十分。
床荷重などが集中的にかかるところは、204材を2枚とか3枚合わせにすれば、角材を使うよりは強度の補充が可能。

枠組み壁工法は、パネル化した場合にジョイント部分に問題があることは前回指摘した通り。
ところが、木軸の間にパネルを差し込むということであれば、このパネルとパネルの接続部分の不完全さが補える。パネルは通し柱にクギ打ちし、パネルとパネルの接合部分の面材、つまり柱をまたいで後で面材を張るようにすれば、完全に一体化出来る。
現在のツーバイフォー工法のパネル化の欠陥を補うことが出来る。
一方で、今までの木軸工法の力の流れをこのパネルが補って、変える。

今までの木軸の場合は、3尺とか6尺間隔に柱を入れた。そして、1.5尺間隔に細い間柱を入れてきた。この間柱はボード受けのためだけのものであり、構造強度には何一つ役に立たない。このため細い間柱は構造材しはみなされず、石膏ボードなどを使っても耐力壁として認めてもらえない。
この間柱と管柱を206とか204の構造材にすることによって、壁パネルとして耐力が支えられるようになる。パネル化すれば、ホールダン金物の数も大幅に減らせる。
つまり、606の太い通し柱は、集中荷重を受ける軸として働いてもらうのではなく、パネルの緊結役と、胴差し・梁受け・敷き桁の緊結役として働いてもらう。水平ならびに鉛直荷重をパネルが負担するという流れになる。
今の各社の金物工法は、そこまで水平・鉛直荷重の流れを見極め、構造的に割り切っていない。もっとパネル化と省力化が可能なはず。

さて、1階の壁パネルをはめ込んだら、外周一円に窓まぐさを兼ねて406の集成材の胴差しをぐるりと回す。606を用いないのは、胴差しの内側に50mmの硬質断熱材を入れ、ヒートブリッジを避けるため。もちろん柱との緊結は金物。
その上に210ないしは212の2階床パネルを施工してゆく。
ただし、この床パネルには合板を張らずに搬入。合板は現場で千鳥張りとする。
そして、大きな開口部がある場合は側根太ないしは端根太は410ないしは412の集成材を、これまた窓まぐさを兼ねて入れ、床根太は金物止めとする。
根太は原則としてTJIとし、北側の根太はダクト配管を考えて出来れば平行弦トラスとしたい。これだと国産材でもすべてに対応が可能。
つまり、床組に関しては、プラットフォーム・フレーミングを全面的に採用するということ。
根太の変わりに集成梁でおさめることも十分にあり得るが、プラットフォームを構成するという大原則だけは守りたい。

さて、2階床合板が張り終えたら、2階の壁パネルが取り付けられ、外周に406の敷き桁が回される。天井断熱材を厚く吹きたいという場合は408とか410の敷き桁を回す場合もある。
そして小屋組は、北海道の木軸がほとんど210材に変わったように、木軸の束立ては止めてTJIか210、208材にしたい。このことによって、小屋裏空間が全面的活用が可能になる。吹き抜け空間にするのもよい。この空間づくりの意義は大きい。
210材とか208材は輸入に頼るしかないので、出来れば国産のTJIにしてゆきたい。

こうした木軸壁工法は、部分的には各地で採用されている。
しかし、金物工法がそれぞれクローズドであるために、オープンな形になっていない。
オープンな形にするには、木住協あたりが音頭をとって、場合によっては何社かがお金を出し合い、共同で実験を行い、認定をとるという形が可能であればベター。
しかし、おそらくそんな形での進行は期待出来まい。
とすれば、北海道でなし崩し的に木軸と壁工法のハイブリッド化が進んでいるように、全国的な規模でハイブリッド化をなし崩し方式で進める方が早いかもしれない。

よりエンジニアウッド化した国産材の活用と、充填断熱プラス外断熱という時代は、すぐそこまできている。
国産材の活用は、地産地消という耳障のよい殺し文句で、現在の製材所の身勝手で加工度と強度、精度が低いものを消費者に押しつけることであってはならない。
国産材の活用には、乾燥材化と集成材化、および204材および206材化が不可欠。
細い間柱を使う時代を早く終わらせるべき。
そして、充填断熱は120mmの時代ではない。耐久性の長期化ということも考えると140mmが最低条件になってくる。それにプラス外断熱でヒートブリッジを追放。

誰が140mmでのハイブリッド木構法の先導役を、買って出てくれるのだろうか?
posted by unohideo at 09:02| Comment(1) | 木質構造と林業・加工業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月20日

オープンな木軸壁工法の可能性(中)



日本の木軸構法を根本的に変えたのが阪神淡路大震災だった。

私個人としては、中越地震の激震地川口町で提起されていた問題点が、神戸よりもはるかに大きかったと感じている。
だが、(1)何しろ豪雪地の山の中で人的被害が少なかったこと。(2)プレハブやツーバィフォーなどのメーカー住宅がほとんどなかったこと。(3)このため、学者や技術者、特に木質構造の権威者による本格的な調査がなされなかったこと。などにより、貴重な研究のチャンスが活かされていないのが残念。

中越に対して、地震がないと盲信されていた神戸の木造、鉄骨造、RC造はあまりにも弱かった。無筋の基礎も多くあった。
その中で、一番被害が少なかった構造体がツーバィフォーだった。
このため、ツーバィフォー業界は慢心してしまった。
ホールダン金物など若干の改良はなされたが、根本的な検討は必要なしとされた。

一方、木軸は、展示場のモデルハウスまでが倒壊するという致命的な打撃を受けた。
通し柱が折れ、1階に寝ていた数千人のお年寄りが落下してきた2階に押し潰され、即圧死。
2度とこんな悲劇が起きないように、抜本的な対策が求められた。
そして、今までの羽子板ボルトと筋違いに変わって誕生してきたのが金物工法。
それまでの木軸構法の合理化は、ホゾ、ミゾ加工を工場の機械で行うプレカットの普及でしかなかった。乾燥の足りない柱に背割りをしてのプレカット。
構造的な強度はほとんど改善されていないものだった。

金物工法は、最初は乾燥材を前提にしてスタートした。
そして、すべてではないが、外壁には筋違いに変えて面材を用いるようになった。
そして、床は今までのように小さな転ばし根太を用いて、各室ごとに床を区切るのではなく、1階は3尺間隔に土台と大引きを入れ、その上29mmの厚い構造用合板を柱の部分だけを欠き込んで一体化する、プラットフォームに近い形が生まれてきた。
そして2階の床も3尺とか1.5尺間隔にセイの大きな根太とか梁を入れ、これまた29mmの構造用合板で一体床を構成する構法が生まれてきた。
そして、より構造強度を安定させるために、乾燥無垢材が集成材に変えられた。

このツーバィフォーのメリットを取り込んだ構法は、室工大鎌田先生が木軸の最大の欠点だと指摘していた外壁の気流の流れを完全にシャットアウト。
小細工を施さなくてもよくなり、木軸の耐震性能や断熱性能および施工精度を一気にアップした。
ナイスのパワービルドやトステムのスーパーストロングをはじめとして、多くの建材商社や木材加工メーカーが、羽子板ボルトと筋違いに変わる剛な金物と面材と集成材の柱と梁による新しい木軸構法へ移行した。

さて、面材を用いた木軸構法が、実際のところどれほどの耐震力を持っているのだろうか。
その実験場となったのが中越地震だった。
激震地の川口町は豪雪地で、ほとんどの住宅が丘地にあるといってよい。
豪雪地のために1階は頑丈なコンクリートの高床になっており、使っている柱は最低でも4寸。5寸のものも見られた。
このコンクリートの高床は、何回にも及ぶ余震に見舞われたが、欠損しているものはほとんどなかった。非常に丈夫な施工にびっくりさせられた。

そして、神戸では細い柱の家が多く、烈震地では7割の家が倒壊していた。
これに対して、豪雪地で柱が太く、基礎が破壊されていないのに、烈震地の田麦山では100戸のうち倒壊を免れたのが10戸だけ。90%にも及ぶ倒壊率。
武道窪では23戸のうち倒壊を免れたのが1戸のみ。
神戸に比べてその被害率の大きさ、つまり直下型の2400ガルの脅威がいかに怖いものであるかを教えてくれていた。

この田麦山や武道窪に、プレハブやツーバィフォー工法の家がなかった。
唯一あったのが地場の渡部建築が施工したスーパーウォール。
このスーパーウォールもかなりの被害は受けていたが、見事に全戸とも倒壊を免れていた。
外壁の面材が大きく物を言っていた。
しかし、後で壁をはがして点検したら、多くのホールダン金物が曲がるなどの被害を受けていた。一番ひどい例はボルトの先が千切れていた。
そして、内部の壁に使われていたのは柱2っ割の厚い筋違い。
これが圧縮され、弓のように面外に坐屈して内部のボードを綺麗に弾き飛ばしていた。
当然、後で全面的に内部のボードや壁紙の張り替えが必要に。

さて、この中越地震から学ばなければならない点が、最低3つあると私は考える。
1つは、木軸であれ、外壁の耐力壁には面材を用いるべきだということ。
2つは、内壁も筋違いをやめて石膏ボードなどの面材で耐力壁を構成すべきだということ。
そして、3つめは、木軸でも金物工法であれば、2階の床を剛なプラットフォームにしても通し柱が折れる心配が少ないこと。

それまで、公庫の技術屋さんと木軸工法の2階床をプラットフォーム化することの是非を議論したことがある。
ほとんどの意見は、実験結果に照らしてホゾ、ミゾのとった羽子板ボルトの在来の木軸では、床をプラットフォーム化して剛にすべきではないというもの。
剛にするとそれだけ負担が通し柱にかかり、より折れやすくなる。

こうした議論から、金物工法に変えた場合に、果たして剛な床が通し柱にもたらす懸念が払拭出来るかどうかが課題であった。
それが、柱が太かったということもあったが、川口町の烈震地で通し柱が折れるという懸念を見事に振り払ってくれた。
このことによって、日本の木軸構法は生まれ変わったと言ってもよい。
しかし、未だに古い木軸が、地方の製材所を中心に根強く残っている事実も忘れてはならない。

この集成材によるプレカットの金物工法。
それは現場の建て方を容易にし、生産性を高め、そして現場における端材などの発生ゴミの減少に大きく役だっている。
つまり工期的にも耐震性でも、ツーバィフォーに決して劣らないという木軸構法が誕生したのである。
これが、阪神淡路大震災と中越地震から貴重な学習を重ねた木軸脱皮の証。

さて、ここでツーバィフォーを振り返ってみよう。
アメリカの木造住宅需要の65%は、環境を含めて開発するランドプランニングによる分譲住宅。大都市の庶民の住宅はほとんどがこれ。
そして、農家など地方の需要は20%弱で、これはプレハブのカタログから選ぶレディメィドで我慢している。我慢出来ない者は自分で建てるしかない。
そして15%ぐらいが、ビバリーヒルに代表される金持ちにの特注によるカスタムハウジング。これにはヘビーティンバーやバルーンフレーミングが多く採用されている。

いずれにしても、大都市で圧倒的な比重を占める分譲住宅は、工場で木材を加工するのではなく、現場を工場として捉え、大工作業の細分化とIEをはじめとした工場で確立した技術体系の全面的な採用で、生産性を飛躍的に高めた。運送コストも大幅に削減し、さらにコストダウンに繋げた。

日本にプラットフォーム・フレーミング工法をオープンな形で導入した時、この「現場を工場化する」というコンセプトも同時に導入した。
しかし、分譲が主体ではなく、散在戸建て住宅が主体の日本では、大工を建て方、断熱、ボード、ドライウォール、造作と5分類することには、一部を除いて成功しなかった。
その最大の原因は、日本の分譲業者は土地転がしで儲け、建築の生産性の向上で儲けるという発想が1つもなく、それぞれの工務店へ細分化発注しかしなかったから。
このため、一人の大工が建て方、断熱、ボード、造作までを兼ねるのが当たり前になり、生産性の向上が大きく遅れた。

そして、散在戸建ての現場加工で、もう一つの困難な条件が発生してきた。
それは産業廃棄物を規制する動き。現場に大きなゴミ捨て箱を設け、その中にランバーの切り端やボードの切り端を捨てることは次第に許されなくなってきた。現場の騒音やノコ屑に対する近隣からの苦情にも対応する必要に迫られてきた。そして、何よりも木軸金物工法に比べてツーバィフォーの建て方の時間の遅さが問題になってきた。
このため、ツーバィフォー工法のパネル化が全国的に進んだ。

しかし、木軸の場合は構造体の木軸の間にパネルをはめ込んでゆくだけ。
これに対して壁工法の場合は、壁そのものが構造体。
壁構造は、壁が一体化していて初めて耐震強度が出る。
ところが、運搬の都合上パネルは5メートル以内に切断される。
それを現場で一体化するには、頭つなぎを現場施工とし、パネルのジョイント部分の上枠と下枠の継ぎ目を変え、ジョイントの部分の面材は後張りにしなければならない。
また、床に関しては、とくに2階床はフレームをパネル化して現場へ運ぶのはよいが、合板は必ず現場で千鳥張りしないとダイヤフラムとは言い難い。

こうした、壁工法の原則を無視するツーバィフォーのパネル化が、一部で進行しているのは事実らしい。
ツーバィフォー建築協会が、こうした無定見なパネル化に対して、ほとんど改善策を用意していないという批判をたびたび聞く。
もし、それが事実としたら、これは由々しき問題である。
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2009年03月15日

オープンな木軸壁工法の可能性(上)



40年近くも前のことである。
最初にアメリカの住宅産業に触れた時、最初に出会った言葉が「ウッド・フレーミング・コンストラクション」だった。
文字通り「木質構造」。
そして、このウッド・フレーミング・コンストラクションには、以下のような構法があると書かれていた。

●ヘビーティンバー(重量木構法)
●ポスト&ビーム(柱・梁構法)
●バルーン・フレーミング(通し柱構法)
●プラットフォーム・フレーミング(床盤構法)
●ログハウス(丸太積み構法)

そして、アメリカではログハウスは別にして上の4つの構法は異質のものとは考えておられず、同じ木質構造の仲間として捉えていた。
つまり、一戸の木造住宅を造る時、メインはプラットフォーム・フレーミングであっても、吹き抜け空間の壁にはバルーン・フレーミングを使い、その巨大な吹き抜けの小屋架けにはヘビーティンバーを用い、階段回りやポーチにはポスト&ビームのテクニックを用いるという具合に。
そして、カーペンター養成の4年制の夜間学校では、日本の大工さんの必須科目である難しい規矩術を徹底的に教え、その上で4つの構法を教えていた。
設計事務所は、この4つの構法を駆使してプランをつくる。
構造計算で安全性が確認されれば、いろんなデティールが現場に出現してくる。
あれが出来てこれが出来ないというのでは、一人前のカーペンターとは言えない。

実際にアメリカの建築現場を歩いてみると、いくつかの構法が混合して用いられている。
とくに100坪以上の住宅では、いろんなテクニックや金物が、これでもかというほど使われている。中には鋼製の梁や門型システムまでも取り組んでいる。
それらを見て回っていると、木質構造というのは「これほどまでにフレキシビリティに富んでいるのか」と感心させられる。
したがって、私は日本の木軸工法はポスト&ビーム構法として捉え、何の違和感もなかった。
ただ、アメリカのポスト&ビームには、決してポストに穴をあけない。柱の強度を極端に落とす仕口は一つもない。ビームは5mm以上の厚い金物でポストに緊結されていた。その金物の種類の多かったこと…。羨ましいと思った。
故杉山英男先生は、日本伝統的な民家住宅は大貫構法であり、この最大の欠点は柱に胴差しを取り付けるためにあけられるミゾによって、地震の時に小黒柱や大黒柱が折れるためである、と戦前の地震の調査記録をもとに立証された。

クギや金物が高価で入手出来なかった時代。
その時、日本の匠達は金物を使わなくてもよい独自の仕口や継ぎ手のテクニックを開発してくれた。やたらと手間暇はかかるが、最低の強度を保つにはそうするしかなかった。
その歴史的な意義を否定する者は誰もいない。
だからといって、そうした仕口や継ぎ手というテクニックに、木質構造の真価が潜んでいるかのごとき発言が時折見られる。これは木を見て森を見ない類。
消費者の側に立っての発言ではない。

さて、北米のウッド・フレーミング・コンストラクションをオープンな形で日本へ導入しようとした時、素人の無鉄砲さというか無知の悲しさで、すべてをまとめて導入出来ると考えた。
つまり、ヘビーティンバーも、ポスト&ビームも、バルーン・フレーミングも、プラットフォーム・フレーミングも…。
そして、杉山先生に相談したら、「全体系を導入するなどとはとんでもない。とりあえずプラットフォーム・コンストラクションだけにすべき」とたしなめられた。
とくにヘビーティンバーやポスト&ビームにまで言及すると、建築基準法ならびに施行令第3章第3節の条文に触れてしまう。
となると、基準法ならびに施行令をつくった建築界の大御所が黙っているわけがない。もめて大ごとになり、アブハチとらずになってしまう…。
「2兎どころか4兎を追うなどという発想はバカげている」と。

といった次第で、北米からのウッド・フレーミング・コンストラクションの導入は、ほんの1/4のプラットフォーム・フレーミングだけを、基準法の体系をいじらずに告示という形で付加する形で収められた。
ただ、吹き抜け空間や勾配天井の空間づくりを可能にするために、公庫の仕様書の中に204材だと壁の高さは3.2メートルまでしか出来ず、それ以上の高い壁は206材としなければならないというバルーン・フレーミングを可能にする条文を最初のピンクの標準仕様書の中にこっそり忍ばせておいた。だが、いつのまにかこの条文が消されてしまったのはいささか残念…。

こういった経緯をほとんどの人は知らない。
このため、北米の木造住宅はすべてツーバィフォーによるプラットフォームだと考えている人が、ツーバイフォー信者派にも、アンチ・ツーバィフォー派にも多い。
木質構造というのは、軸組か壁組かのいずれかしか選べないというような、二者択一の窮屈なシステムではない。
ただ、鉛直力や水平力の流れは、軸組と壁組では大きく異なる。
その構造上のポイントだけは十分に心得ておかねばならない。
それがないと、それこそシッチャカメッチャカになってしまう。

軸組と壁組の融和の前に書いておかねばならないことがある。
毎度のことなので、分かっている人は飛ばし読みをしていただきたい。
戦時中に木をやたらに伐採したので、日本の山は禿げ山。
戦後の都市の復興に用いられた柱材は3寸のものがまかり通っていた。その3寸の通し柱に胴差しのミゾをほる。このため、現場へ運搬する途中で通し柱が折れるということが度々あった。
このため「そっと運べ」と親方は見習いを叱っていた。
今では考えられないことが当時の木造には平気で通用していた。

建築学会や建設省の役人は、こんな木造住宅に見切りをつけた。
日本の山には、これから庶民が必要とするだけの資源としての木がない。
それに、木材価格はいたずらに高騰する。
したがって見切り時だと考えたのは、2つの点を除いては正しかった。
1つは、消費者の木造住宅への志向の強さ。
もう1つは、日本の山には木が無かったが、四面海に囲まれた日本には、世界各国から安い木材が船でどっと押し寄せてくるということを見通せなかったこと。

今から57年前の1952年に、住宅金融公庫の木造の標準仕様書が出来たのを契機に「これからの日本の庶民住宅は、RC造と鉄骨造しかない。木造よさようなら!  RC造・鉄骨造よ今日は!」という宣言を行い、ほとんどの建築学会人がRC造と鉄骨造へ雪崩をなして移行していった。
そして、木質構造で孤塁を守っていたのが杉山先生。(詳細は2006/7/31の今週の本音の「杉山先生を偲ぶ会」を参照されたし)
何しろ、鉄骨造ではいいかげんな防火実験で耐火認定を認めていながら、学会と建設省は木造を目の敵にして襲いかかってくる。開始された猛烈な木造潰しに独りで闘うには限界があった。

その木造潰しに「待った」をかけたのが、ほかでもない枠組み壁工法。
今までの日本の木軸工法は、棟梁の経験と勘に頼っていた。
その木質構造に科学の光を当てるきっかけを与えてくれ、背中を押してくれたのが、北米の木質構造の膨大な実験データと実績だった。
杉山先生が先頭を切り、枠組み壁工法を橋頭堡にして木質構造の研究とその研究成果をもとに復元に全力が傾注された。
その動きに、林野庁が素早く呼応した。

こうして、鉄骨造とRC造へ流れていた奔流を命がけでくい止め、日本の木質構造をここまで復元してくれた。
この原動力は間違いなく杉山先生であり、オープンな枠組み壁工法であったという事実は、決して忘れてはならないと思う。
posted by unohideo at 22:36| Comment(0) | 木質構造と林業・加工業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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